一法句 お救いと生きる
先日小倉の永照寺様にお参りさせていただきました。永照寺様は昔小倉駅前にあったお寺で、現在は大手町にある大きなお寺です。実は、私がお参りさせていただいたのは、二回目です。初めてお参りさせていただいたのは、その小倉駅前にあった時です。その時駅前の再開発が決まり、永照寺様も立ち退かれることが決まっておりました。そこで最後の大きな行事をということで、九州の浄土真宗本願寺派のお寺の仏教青年会が年に一回集まって行う行事「九州仏青大会」が行われました。仏教青年会は中高生から四十歳までの方にいろいろな行事を通して、浄土真宗の縁を深めていく会です。当時高校三年生の夏休みでありました。そろそろ受験勉強に注意を向けないといけない時期でしたが、 小倉で行われることですし、参加をさせていただきました。随分の前の話なので、ほとんど覚えていな いのですが、一つだけ覚えていることがあります。
その時の特別講演としてご講師をされたのは、引野の向坊弘道氏でした。ご存知の方もあるかと思い ますが、向坊氏は浄土真宗のみ教えをよく受け止め 、お念仏のお救いを大事に生きておられた方でした。若い頃交通事故で全身不随になりましたが、それがご縁で浄土真宗と出遇い、人生を大事に精一杯生き 抜かれた方でした。お名前は何度も聞いてはいたのですが、お話を聞いたことがなかったので、楽しみ にしておりました。今となってはそのお話を覚えてはいないのですが、話をされていた向坊氏の顔つき というか目力は、今でも覚えています。
電動車椅子に乗ったままお話をされているお顔には、介助がなければ生きられないということに卑屈になっていることもなく、頑張って生きているのだという自慢もなく、まっすぐと向けられる目線は、澱みもなく気負いもなくただただ真っ直ぐでした。普通に考えれば「不幸な人生」といえる状態ですが、いろんなことを受け入れられる勇気と力に、本当に驚きました。そして、その勇気と力こそが阿弥陀仏 に救われている、ということなのだと分かったのです。
私は、浄土真宗が設立した龍谷大学に行き浄土真宗を勉強しようとしてましたが、お寺に生まれ、皆様がお包みくださったお布施で育てていただいたので、お返しができるように浄土真宗を勉強しなければ、となんとなく考えているぐらいでした。しかし、向坊氏との出遇いを通して自分のために浄土真宗を勉強したいと思ったのです。たまたまのご縁でしたが、私が浄土真宗に向き合い、阿弥陀仏のお救いを大事に生きる原点となったご縁でした。
教えと出遇う、一言で言えばそうですが、なかなか出遇えるものではありません。しかし、自分のいのちの価値や生きる意味を大事に生きるためにはとても大事なことだと思います。どうか皆様にもそのような出遇いがあることを念じております。
まずは、阿弥陀様のお救いに興味を持ってくださいませ。