一法句 たまたま、偶々(たまたま)
この法話は、印刷・製本の関係で七月に書いています。数日前に安倍元首相が襲撃され、いのちを落としてしまわれました。みなさんが読む時には、色々とわかっているかと思いますが、今の私にはよく分からないことだらけです。
特に不可解な事は、この襲撃がなぜ成功したかということです。
「たまたま、安倍元首相が自分の家族とトラブルになった宗教を広めたと信じ込んでしまった」「たまたま射撃をする技術を持っていた」「たまたま元首相の予定が変わり、土地勘のある所に来ることになった」「急な変更だったので、たまたま警備が完全でなかった」「精度の低い自作の銃だったのに、たまたま致命的な所に当たった」などなど、たった一つのことでも状況が違えば、元首相の命が奪われる事は無かったでしょう。
まるで出来の悪い小説のようですが、それでも現実に起こるのです。何が起こるか分からない私たちの生きているこの世界を「娑婆(しゃば)」と言います。昔の任侠映画などでご存知の方もいらっしゃると思いますが、本来の意味は、インドの言葉で「苦しみしかない世界」という事です。これは仏教だけではなく、古代インドの世界観というべきもので、その当時の宗教はどれもそこからの脱却を説いています。
お釈迦様は、どうやってその苦しみをなくすのかではなく、その苦しみはなぜ生じるのかを明らかにしてくださいました。
そのことを現代風の解釈を入れて、すこし説明してみたいと思います。
私たち人類は、過去に起きた事から学び、未来に起きる事を予測することで発展し、地球上のあらゆる所に広がりました。環境など様々な条件が違う中でも生きていける知恵を手に入れました。それは素晴らしい事なのですが、心のどこかで「自分の考える事が間違えるはずがない」と、過信をしてしまうような性質も持つようになってしまいました。
自分の予測が外れ、思ってもいないことが起きた時、「なぜこんなことが起こるのだ」「あり得ない」と自分の予測が外れた事を考えず、世界の方が間違っていると受け止めてしまう所に、苦しみの世界が広がるのです。
というところでしょうか。がんばってみましたが、私の力不足でお釈迦様のおさとしを表現するのはこれが限界です。
考えてみますと、新型コロナの問題が起きて、世界はいわゆる今までの常識が通用しなくなりました。世界の問題も自分の人生の問題も、どう考えていいか分からなくなりました。まさに娑婆が広がっているといえます。
そんな世界を生きていく私たちが、仏教の教えから学べることがいくつもあると思います。どうぞお寺にお参りをして、お話をお聞きくださいませ。