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一法句 袖触れ合うも「浄土」の縁

お盆にはたくさんの方がお墓や納骨堂にご先祖様のことをおもってお参りをされます。時にはお世話になった方のお墓にお参りに来たとお聞きすることがあります。
その亡くなった方々は、どこにいらっしゃるのでしょうか。浄土真宗、阿弥陀仏のお救いの一つは、どんな人もいのちが終わった瞬間にお浄土へ往生させてくださることです。ですので、亡くなった方々はみんなお浄土でお過ごしなのですお浄土に往生する方々は、自分のご先祖さまだけではありません。「みんな」ですから、お世話になった方々、友人、仕事や付き合いのあった方々をはじめ、人生でたった一回しか会わなかった人や会うこともなかった方々も、みんなお浄土に往生するのです。
(本当にいのちが終わった全員がお浄土にいるのかとか、連続殺人の大悪人も救われるのかとか、キリスト教など他の宗教の人たちはどうなるのかとか、色々と気になるかと思いますが、仏の力のすごさというのは私達人間には計り知れないので、ここではそういう事は一旦おいておいて、全員がお浄土にいるという事で話を進めさせてください)

またお浄土にすがたを現す時、阿弥陀様は私達に阿弥陀仏と同じお心・お力・おすがたを授けてくださいます。素晴らしい事が色々ありますが、そのお力の一つに「他心通(たしんつう)」というのがあります。超能力のテレパシーをイメージしていただくといいかと思いますが、お浄土で会う人が誰であり、その人とどんなつながりがあったか、その人の心の中がどうであったかなどが瞬時に分かるお力です。
ですので、ご縁の深かった身近な人や友達はもちろんの事、小 学校の時に一緒だった同級生など疎遠になってしまった人も、会った事が無い昔のご先祖様などもパっと分かるのです。さらには、一生の内で一回しか会わなかったコンビニのバイトの人や町ですれ違った人、あるいはニュースで見た外国の人だって、「あ、この人はあの人だ」と分かるのです。
自分のいのちが終わってお浄土に往生し、そういう出会いをする事を考えますと、自分が人生で目にする人たち全員とお浄土では顔見知りという事になります。今、カスタマーハラスメントなどが問題となっておりますが、「この人は自分の事を知らない、自分もこの人の事は知らない」を考えているから暴言が吐けるのではないでしょうか。もし暴言を吐いた相手が親戚の子どもさんで、法事とかで会ったとしたらどれだけ気まずいでしょう。気まずいだけではすまないかもしれません。
そのように、町で見かけただけのような人でも全て縁があると受け止めていくのが仏教のものの見方なのです。私達はそのことを「お浄土でまた会うのですよ」という阿弥陀様のお力の働きにより、イメージとして受け止める事が出来ます。この事も阿弥陀様のお救いの働きの一つだと思います。
街を歩く時、お店で買い物をする時、ニュースを見る時、「この人達とお浄土で会うのか」とイメージしてみてください。そうすると、世界が違って見えてくるとおもいます。

そんなお浄土の事、阿弥陀様のお救いの話をお寺に聞きにきていただきたいと思います。

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