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一法句 素人の善人

一九九五年一月十七日に阪神・淡路大震災が起こりました。もう来年で三十年となります。街の下の断層が動いた事で壊滅的な被害がありました。観光地としても名高い神戸が被害を受けたことで、多くの人たちがボランティアとして現地に赴き、また遠隔地の方々は多くの募金を送りました。あの時のことを「ボランティア元年」などと呼ばれています。
それまでは、ボランティアは何か特別な事で、普通の人がするものではない、といった雰囲気がありましたが、それ以降は災害が起こるたびにたくさんの方々が関心を寄せ、ボランティアとして災害復旧や被害者支援をされています。今年の一月一日に発生した能登半島地震でも、多くの方が家屋の清掃ボランティアやさまざまな支援をされているのを、ニュースで拝見いたします。
日本の世間では、なぜか善いことをする事がためらわれる風潮があります。善いことをするのは特別な人たちで、自分なんかが善いことをするなんて畏れ多くて、と尻込みをしてしまう方が多いように思います。
確かに、善いことをしましょう、と言われても漠然としてて、何をして良いのかわからない、という事があるかと思います。また、自分のやっている善いことが「偽善」ではないかと考えてしまうと、おいそれと行動もできなくなってしまいます。たとえ、善いことをしようと行動してみても、思う通りに出来なくて失敗してしまったらと、怖くなる方もいらっしゃるかと思います。そう考えてみると、「善いこと」をすることよりも、その評価に対して不安の感じている方が多いのではないでしょうか。

親鸞聖人のお師匠である法然聖人は、「雑毒の善(ぞうどくのぜん)」ということをお諭しくださいました。不完全な行いや自分勝手な考えの混じった善は正しい善ではないという事です。そう言われると、果たしてこの自分に善いことはできるといえるでしょうか。私自身のことを考えると、「難しい」というより「無理」といった方が近いと思います。
そんな人間の様子を阿弥陀様はよくよくご存知です。「全ての人を必ず救う」という阿弥陀様のお救いは、言い方を変えると「どんな事があってもあなたを見放すことも見捨てることもしません」ということです。「あなたの行う善い事がどのような評価を受けたとしてもどのような結果であったとしても大丈夫だから、今できることをできる限りでいいから、頑張ってやってみなさい」と私を支えてくださり、善いことをする勇気と力を与えてくれるのです。
考えてみると、善いことを行うために資格はありません。みんな素人なのです。素人のやることはうまくいかなくて当たり前です。少しずつうまくできるようになったり、成功する事が多くなったりはするでしょう。それでも時々失敗したり、思ったような評価をされなかったりするでしょう。そんなことの繰り返しでも、善いことをすることを諦めないで続けていく支えになるのが、阿弥陀様のお救いの一側面です。
阿弥陀様のお救いは、命が終わった後だけではないのです。私の生きている今を支えてくださる阿弥陀様の働きのお話を聞きに、ご法座にお越し下さいませ。お待ちしております。

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